Butadiene Works

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VRChatを始めて一年が経ちました

VRChatを始めて一年になったので、この一年を少し振り返りました。おもに、「なにをしたか」という視点でまとめてあります。もちろんほかにもたくさんのことがありました。コミュニティのことがあまり覚えきれなくて書けなかった・・・。

ここから先しばらくは文章というよりは記録という感じの長く、きわめて個人的であり、また乱雑で、コンテクストもある程度要求する文が続きますので、読み飛ばして一番最後の

まとめ

だけ読むことをお勧めします。

 

2018年1月

このとき大学一年生。入学したときサークルにはあんまりいかなくなり、かといって成績がいいわけでもない中、周囲の友人たちが「充実した」大学生活を送っているのを見て超鬱状態で2018年を迎える。そのときに出会ったのがVRChat・・・ではなく、アニメポプテピピック。アニメなどあまり見ない人だったが、ポプテピピックツイッター等で話題になっており面白そうだったので見ることに。これが(個人的に)大変面白く、メンタルが少しずつ回復する。ポプテピピックを見るために1週間を乗り切るような感じになった。そんなこんなで1月下旬になったころ、もともと少しだけ触っていたBlenderで作ったモデルを持ち込むことができる無料ゲームがあると知る。

 

面白そうなので、さのさんのブログを参考にしながらそのゲームに昔作った簡単なモデルを持ち込み、少しそのゲームをやってみることに。これがVRChatとの出会い。当時のVRChatをハックツール全盛期で日本人と会うのが大変難しかった。例えば、日本人がよく集まる、とされていたFantasy Shukaijou はハックツールの流行から閉鎖されており、日本人と会うのが大変難しかった。また、自分にはVRChatをやっている知り合いがいるわけでもなかった。そこで、プレゼンテーションルームを回りながらつたない英語や、日本語のわかる外国人の方との交流を楽しむことにした。ほぼ初めて触るUnityを使ってモデルに簡単なアニメーションを仕込み、エモートで見せて会話の種にしたりしていた(当時はデスクトップモードはアニメーションオーバーライドが使えなかった)。東京グールの主題歌を国もわからない人たちと合唱したのはいい思い出である。そんなこんなで数日過ごしていたころ、ワールド検索でJapanと検索すればいいのでは?と気づいた僕はJapantownに行ってみることに。するとそこには日本語を話す人たちが数人おり、中には日本人もいた。最近始めたものの、もともといたらしいひとたちがハックツールの影響で籠ってしまって、日本人となかなか会えない、という始めたての人たち(要は私と同じ)人たちが多かったように思う。そのひとたちと始めたてのUnityを触ってアバターをカスタマイズして見せ合ったりしながら他愛のない雑談をする、ということをするようになった。この時であった人の一人が元怒さんだったりする。

2月

そんなこんなでのんびりすごしていると、その時あった日本人の一人が「自分のワールド作ったから見に来て」とワールドに案内してくれた。それが大変驚きで、まず「ワールドってユーザが作れるの?????」というセリフで頭の中が埋め尽くされていた。そのときはすさまじく難しい知識がいるのだろうなあと思いながら話を聞いていたが、数日たって、人工衛星を並べた博物館を作ってみたいなあと思うように。(人工衛星が好きだった)

 

調べてみるとねこますさんの動画にたどり着く。ねこますさんのワールド制作動画を見ると大変簡単そうだったので、これなら僕もできるのでは?と思い簡単なワールドを制作。思いのほかうまくできたので、博物館を作っていくことに。途中でやまとさんとひばかりさんと出会い、トリガーの存在と使い方を教えてもらう。最初は全くわからなかったが(文献もやり方もくそもなかったので、お二人がサンプルシーンを読み解いて得た知見を頂いてた)丁寧なご指導により何とか扱えるように。

宇宙博物館を無重力のようにできないものかと考えており、いろいろな方法を試していた。椅子を傾けて写真を撮ると宇宙空間っぽく写真が見えることに気づき、それ関係の調査を行ったりしていた。

 

そのころひばかりさんが、遠見の魔法という遠隔操作魔法をVRChatで実装しようとしており、それにヒントをもらって、無重力システムができないかと考えた結果爆誕したのが空飛ぶ箒である。

 

 

 

これが界隈の中で大変にばずってしまい、テストワールドをあけるといろいろな人が来てくれ、たくさんほめていただいた。何かを作ってたくさんの人に褒めてもらえるという経験がほとんどなかった私にとってこれは大変うれしいことで、またいろいろな改善点を頂いたのでそれをもとに改善をしてみたり、それでまたフィードバックを頂いたりするという活動が始まった。私のほうきの原理を改造して坪倉さんが面白いものを作ったりされており、 

 

 

そういう競争的な何かが発生してそれも大変モチベーションになった。

その高まったモチベーションのまま、自動ドアとか飛行船とかドローンとか、思いつくものをとにかく作りまくったり、

 



日本語のワールドの資料が少なすぎるとトリガーの仕組みの説明動画を「素人が作ったやつでもないよりはある方がましだ」と作ったりした。

 

 

 

この動画はけっこう色々な人に使ってもらったらしく、たまにこの動画でワールド作りを学びました、という話もいただいたりして大変うれしい限り。

ちなみに、このころの技術的競争は恐ろしく激しく、一晩寝たら新しい技術が生まれているような状態だったりし、例えばほうきは私が試作してから2週間たたないうちに小石さんがこのレベルまで昇華させてしまう始末であった

 

3月

3月になっても技術の拡張はどんどん続いていて、いろいろな人がどんどんいろいろなものを作り、それに刺激を受けてほかの人が、という状況が続いた。自分はデスクトップでFPSも10から20しか出ないレッツノートを使っていたのだが、テストワールドを開けるといろいろな人がありがたいことに来てくださり、テストに協力してくださった(VRでどう動くかわからないものをテストしてもらえるのは本当にありがたかった)。おかげであらたなものを作ってフィードバックをして改良する、というサイクルを複数人で行える状況にあり大変楽しかった。また、ほうきの人で終わってはいけない、という強迫観念も自分の中にはあり、モチベになった。

 

実家に帰る時期もあってあまり時間は取れなかったが、それでもいろいろなものを作れた。実家に帰ったときは第一回オンオフ会に参加したりもした。

ちなみに、ほうきがsynqarkさんのtestrunワールドという形で一応完成したのもこの時である。素人の自分の思いつきがここまですごいものになるとは~と圧倒されたし、使ってもらえて本当にうれしかったし、自分の手でアウトプットまで持って行けなかったのが少しだけ悔しかった(笑)。

そして3月下旬、あの人が現れる。

 

 

 

ファイさんのシェーダ芸はシヴァ犬さんに呼ばれて見に行ったのだがとにかくすごかった。シェーダ芸に関してはクロクロさんのパフォーマンスなどで知ってはいたが、ワールドでやってる人はあまりいなかったため、ワールドを作ってた自分は「アバターはすごいなあ」ぐらいにしか思っていなかったが、ファイさんのはワールドにおいてあり(当時の視野狭窄気味の私にはこれが大事だった)、SDKでの「当時」の限界がなんとなくわかっていた私にとっては衝撃的だった。衝撃的すぎて「は~~~」で終わってしまい理解を当時は放棄してしまうのだが。また同時期の同じ時期にhardlightさん(toyboxの作者で海外の方)と話したことも衝撃的だった。自分の作った箒は、synqarkさんのtestrunというかたちでパブリッシュされて海外にも広まったのだが、その時ありがたいことに私の名前も少し広まったらしくその縁で出会うことができた。見せてもらうワールド、ギミック、すべて理解の範疇を超えており「なんでこんなことが?? いままでのJPの技術拡張はなんだったんだ・・・」となってしまうレベルだった。また、なかなかアクセスできない海外技術勢の人たちとの交流の足掛かりができたという点でも大きかった。

4月

4月に入ったころ、バイクのワールドを作ってみたのだが、これがフレンドに意外と好評で、学校が始まる前にやってみるか、と皆さんに協力してもらいながらパブリック化することにした。Just Touring というワールドになる。

 

ここでパブリック化のハードルが低いことを知り、これ以降機会があがればワールドをパブリック化していくことになる。ちなみにこのころの私はリアルタイムライトとベイクという概念すらよくわかってないので当初はリアルタイムでディレクショナルライトで、という感じであった。ただ、これぐらいハードルが低いほうが何もかも初心者の私にはありがたかった。この次に作ったワールドが360mirrot for avatartestとなる。

 

どうやったらアバターの確認がしやすくなるかなあという発想で作ったものである。そして、たぶんこの辺でスタンダードアセットを本格的に使い始める。

そして4月下旬、VIVEをいただくことになる(本当にありがとうございます)。いただく前は、先ほども言った通りVRChatの魅力は作品を自由に作ってフィードバックできることにあると思ってたので、「ピックアップ二つできるようにしたい!」っていう欲望を満たすぐらいしかVIVEに魅力を感じていなかったのだが、ゴーグルをかぶった瞬間にヤバすぎて笑いがこみあげてきたのはよく覚えてる。それ以降しばらくはINするならVIVEという感じになったので、VRってそんなすごいの?って口ではいいながらはまっていたんだろうなあとは思う。事実VR届いてすぐにこういう遊びをしてるし・・

 

5月

今から思えばこの辺がギミックメイカーとしての最盛期だった。「ほうきの人で終わってはいけない」という強迫観念はまだ継続していて、覚えたてのスタンダードアセット使ってギミックを大量生産していた。

電卓とかflappy birdがこのころの作品の代表例

 

 

 

して、そのうち一個がバズる。

 

巨大ロボット操縦システムである。

これはかなりの反響をいただき、Jefclaxさんからモデルを貸していただいてロボットに乗れるワールドを作ったりすることになったり、これの影響でV-TVにも出さしていただいたりした。

 

youtu.be

 

6月

流石に開発スピードが落ちてくる。このころのコンテンツである程度のインパクトを持ったのは多分これだけ 

 

(ちなみに、このワールドはパブリック化したらコミュニティスポットライト入りし、大変うれしかったのを覚えている)

そのかわりといってはなんだが、いろいろなところに出歩くようになった。海外も日本も隔てなくいろいろなところを出歩き、いろいろなワールドを見て回っていたりした。海外コミュニティとの交流は大変新鮮だった。海外の技術勢にアクセスするのは最初は大変なのだが、幸いにも自分はhardlightさんとのつながりがあり、そこからいろいろな人を紹介してもらうことができた。(ほかにも箒の人というので少しだけ名前を知ってもらえたのも幸いした)。時差を考えてインし、拙い英語で何とか意思疎通をしながらワールドを連れまわしてもらう。刺激的な経験だったと思う。ほかにも、ある程度たまった自分のギミックワールドを紹介するツアーなんかを初心者向けにやったりもした。VRChatの可能性を感じてもらえた、ことはあったと思う・・・思いたい。

7月 

実は、5月ごろから雪が降る静かな森を作りたかったし、synqarkさんのワールドは相変わらずあこがれだったし、GPUパーティクルは作りたかった。そう、すなわちシェーダを覚えてエモい表現がしたかったのである。しかしきっかけがなく、プログラミング経験もほとんどなかったので躊躇していた。ところが事件が起こる。6月下旬にcroccaさんがGPUパーティクルを実装したのだ。これまで「ファイさんとneenだけの殿上人の領域」だったGPUパーティクルをほかの人が使ってるのを見て、では勉強してみようとなった。GPUパーティクルを操りたかった。だが、いきなりコードはハードルが高かったのでShaderForgeを始める。最初の一週間はsynqarkさんのVRWaterShaderやストッキングシェーダを真似して、ShaderForgeをどうにか(一応)使えるにした。そしてGPUパーティクルを作ろうとして1週間たって気づく。

 

「これ、ジオメトリシェーダ?とやらが使えないからできないんじゃないか・・・?」

 

そう、GPUパーティクルはShaderForgeでは原理的に不可能だった。そこでファイさんに相談をして、シェーダプログラミングを教わり、手取り足取り指導してもらいながらどうにかGPUパーティクルを完成させる。こうして私の初めてのコーディングのシェーダはGPUパーティクルになった。

 

そしてそのころちょくちょく行くようになってた某所で、いろいろなエフェクトを持ち込んで祭りを使用という企画が立ち上がる。

8月

そしてその某所のイベントがやってくる。私はGPUパーティクルを持ち込んだのだが、とにかく、とにかく、すごかった。花火を打ち上がり、アバターが踊り、音が舞う。とにかく最高の空間で、とくに夜遅く、静かな曲に合わせてGPUパーティクルを降らしたときは忘れられない。そして、覚えたのは強烈な、強烈な、あまりにも強烈な「音に合わせて自分のいま、思ったようにエフェクトを出したいのに、てもとには一定の法則にしたがうGPUパーティクルしかない」という「圧倒的不自由感」だった。この不自由な感覚はとても自分の中に残り、いまだに原動力でもある。

このイベントのために雪を作ったりもした。 

 

ほかのエフェクトをたくさん作ったりした。

 

 

雪は結構いい感じにできてしまい、雪を置いたワールドを作ったら色々な方から評価をいただけた。配布もしたのだが、色々なところで使ってもらえたようでとてもうれしかった。

そしてイベントが終わると、「最高」という感覚と「前回と同じ不自由感」を得た僕の中には音とエフェクトをもっとやってみたいという強い願いが残った。

9月 

前半は学校の海外研修に吹き飛ばされたのでVRChat系は進捗がない。帰ってからは疑似スカイボックスを作ったりしていた。

 

あと、このころ某イベントで使った雪を使ったワールドを量産し始める。あれは正直便利すぎて、とりあえず置いたらエモくなるといった感じだった。

 

10月

桜を作ったりした。

 

 

このころには一種の強迫観念が消えており進捗が非常に緩やかになっていく。某イベントを通じて「バズるもの」ではなく「やりたいこと」を追えるようになった気がする。そして同時に復活した某所に引きこもりを開始する。某所は大変居心地が良く、エモい場所なので気づいたらそこにいる感じなってしまった。

あとは、大学の文化祭で展示するシェーダの制作を行ったりもした。

11月 

平日はシェーダを勉強し、休日は某所に引きこもる、という流れが確立。VRChatのログイン時間がもみるみるへり、代わりに表現を求めてコードとにらめっこする時間が増える。完全にシェーダ沼に落ちた。クリスマスワールドもその一環で出てきた。

 このクリスマスワールドも評価を頂け、配信でも使ってもらったりした。とてもうれしい。

ほかにもレイマーチングを始めたりした。

 

12月 

上旬になんと、おきゅたんに特集してもらうという光栄なことが起きてしまった。3時間近くしゃべらせてもらった。ありがとうございます。

www.youtube.com

 

そしてとある人からお誘いがありリアルタイムエフェクトの追及をようやく始める。某イベントの時に沸き上がった欲求をようやく追求し始めた感じでめちゃめちゃ面白い。

 

毎週要求が加速していき、リアルタイムVRでの表現がようやく少しづつ手を付けられたって感じ。

年末はコミケでVRChatオフ会をするなどした。ここでTeamlabの展示を見に行ったりした。

2019年1月

Teamlabの表現に刺激を受けたので、とりあえずシェーダのみでトレイルを作ってみるなどした。

 

 

 

そのあとは学校の試験があるのでお休み期間にした。生活リズムを直してエモコンテンツを摂取している日々。

 

 

 まとめ

 

私のVRChatライフは始めて1月でギミックがバズる、というかなりのレアケースとして始まりました(そしてインパクト的にはそれを超えられたことはたぶんなかったです(笑))。作ったコンテンツが注目を集めても飽きられるのは一瞬、そう思っていたのでこのチャンスを逃すまいとひたすらに走り続け新しいギミックを考えて実装し続けました。当時のVRChatはギミック的には何もない土地で、その何もない土地をみんなで競って耕してできることを増やしていこう、といういい意味で競争的な空気がありました。素人の僕であっても、何もない土地では何かを作れば最先端であることが、その競争の中にいることができました。おかげで作るコンテンツはそれなりに注目を集めることができました。承認欲求もかなり満たされました(笑)。しかし、時間がたつとそれは限界が出てきます。試験があったりして使える時間が少なくなりました。なにより、でてくるもののクォリティが上がってきました。ところが自分には何もなかった。ShaderもUnityもそしてJavaScriptいじった経験もない人が(当時はwebpanelギミックが流行り始めていてJavaScriptいじれる人が活躍していた)戦える余地なんて発想ぐらいしかなかったのです。そして、いつ立ち消えるか、途絶えるかもわからない「発想」というものに頼って息絶え絶えに何かを作る僕の横で、とある人は時間で、とある人はもともと持っていたスキルですごいものを作り続けていました。VRChatでしんどくなるなんてダサいと思ってたので、しんどいなんて全く思わないようにしてましたけど、たぶん今から振り返ると、しんどかったんだと思います。

そんな僕にとって、GPUパーティクルを作ったことはすごく、すごく大きいことだったんだと思います。技術的には既出、すでにVRChat内にある技術。だけど作れた時の喜び、あこがれていたものがVR空間内で自由に動かせた感動、それはすごいものでした。僕はエモーショナルな風景にずっとあこがれていました。GPUパーティクルを通じて覚えたShaderでエモい雪を作れた時はとてもうれしかった。たぶん、この経験を通じて「作りたいものを作る」という楽しさを少しだけ、ほんの少しだけ知ることができたんだと思います。「バズりたいものを作る」という楽しさ「だけ」でなく(本当にファイさんには感謝しかないです。)。そして技術本位でだけではなく作りたいもの本位でも動けるようになりとても楽しく手を動かせるようになったと思います。

VRChatを始める前はクリエイティブというものとは全く無縁の生活を送っていました。ひたすらにコンテンツを受け取る側で作る側になるなんて考えたこともなかったので、拙いながらも何かを作り続けている日々になったことに自分が一番驚いています。そしてたくさんの人とつながることができました。多くの人が作るものに刺激を受け、何かを作り、フィードバックを受け、そしてまた何かを作る。自分とは縁遠く、選ばれた人たちのものだと思っていたクリエイティブなものに少しだけ触れることができました。また作る側の苦しみ(?)も、本当に少しだけ、少しだけ、知ることができました。前に比べてほんの少し素直に他者の創作物に向き合えるようになったと思います。そうであると信じたいですね。

 

VRChatとVRChatがくれた経験、そしてそれを通じて出会えた本当に素敵な人たちに感謝をしています。これからもよろしくお願いします。